私の持論としては、女性のしたたかさ、抜け抜けとやってみせるという意味で(勿論、ではない女性も多いが)女流画家の作品には打ちのめされることがある。
この秋野不矩もその1人だ。
インドに渡る事14回(どっひゃー)、インドに旅立つ寸前に階段から落ちて骨折しても尚、「同じ寝てるなら、インドの地で」と旅だった。
私の知るそのエピソードは齢、八十半ばと記憶する。
個人的には、牛を描いた、『渡河』、『ガンガー』が好きだ(だった)。
しかし、今日改めて会場の作品を見渡し、仏画、廃墟など何気ない風景にこの画家の個性が光っていると気づく。
全く、絵のこちら側に立つモノを意識する事なく、ひたすら描くという行為は、賞だとか、名誉だとかを意識しながら、チマチマと描くどこかの教授画家連中と違う、画人を感じる。
例えば、『帰牛』にしてみれば、道が輝く様を銀箔で表現していて、琳派が、金銀箔を「どうだ!」と言わんばかりに使うのと違い、
まさに、素材の効果を第一義にと考える様は潔いと言わざるを得ない。
なんとも、座って見渡せる丁度いいサイズの秀展をご覧あれ!
12月1日まで…